なぜ日本人は落合博満が嫌いか?

不可解な契約不更新、セ・リーグ優勝の顛末から落合博満監督の再評価が散見される。

私は個人的には落合博満のファンだ。落合が選手時代にナゴヤ球場に観戦に行った際に買ってもらったテレホンカードは落合のだし、新聞を毎日読むようになったのも中学生時分に落合の中日への移籍を連日取り上げる中日新聞を毎朝読むようになったから。そしてその傲岸不遜に感じられる態度さえ好意的に捉えていた。なんてったって彼の言い分には筋が通っているから。イチローのそれは「雰囲気」なんだけど落合のはロジカル。そう感じる。

本書はテリー伊藤らしく「長嶋茂雄」が評価軸のひとつとして提示され、落合博満のもつ「日本人に備わっているもの」と「日本人に備わっていないもの」について言及することで落合博満を評価している。

落合は、かつての日本人が持っていたはずの力を1人だけ失うことなく持ちつづけている。同時に、いままでの日本人が持っていなかった力もまた落合は持っている。
この力を私たちが身につければ、この国を活力に満ちた国にすることができるはずだ。だからこそ、いま、日本人にいちばん必要なのは「落合力」なのである。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか? P112

さて日本人が「落合力」を身につけることができるのか?本書において「落合力」をいろいろ定義しているが、まぁこじつけという感じは否めない。「まぁそう言われりゃそうだけど…」て。さらに「落合ならきっとこう思っている。きっとこう言う」という推論が随所に散りばめられていてそれにはちょっと食傷気味になる。もちろん言質をとっているものもあるのだが推論の割合が結構あって、彼の立場ならばもう少し詳細に取材できたのでは?と思ってしまう。まぁ新書だしこの粒度かな?
落合が職業野球監督としての成功を手中に収める手法を一般企業のリーダーがそのまま用いて活かすのはなかなか難しいのではないかと個人的には思う。そのあたりについては「采配」の感想で記そうと思う。

自分は本書をたまたま半年ほど前に読み終えていたのだが、今回またサラっと読み返してみてテリー伊藤千里眼を感じさせる項がふたつあった。

ひとつは最近の落合再評価の風潮について。幸い不意の体調不良といったことではない形でこのような現象が起きていることについてそれ見たことかと膝を打ってるのではと想像する。

落合博満という一筋縄でいかない人間を理解しようとしない日本人は、このままでは大きなものを失うことになる。どうかそれに早く気づいてほしい。
もしかりに、落合監督が明日、不意の体調不良で倒れるようなことがあったらどうなるか。
きっとそのときになって、初めて日本人は落合の存在価値の大きさに気づくだろう。
「やっぱり落合はすごかった」と口々に言いだし、日本中に一大落合現象が起こるだろう。たとえば、この本にしても、みんな、われ先に読もうとするだろう。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか? P180

もうひとつは落合監督の中日退団後の提案について。

こうやって落合博満という野球人について考えてきた私の結論のひとつとして、ぜひ提案したいことがある。
それは、落合監督がもし中日ドラゴンズの監督を退く日がやってきたら、その時は、中国の監督になってほしいということだ。中国のナショナルチームの監督になって、WBCで日本を打ち負かすようなチームを育て上げてほしい。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか? P183

この提案は落合評価の必然性を実感させるための手段として提示されている。理由はなんであれ、優秀な監督がライバル(国|チーム)の監督になることが時にセンセーショナルに眼前につきつけられることがしばしばある。それが落合だったらかなり面白いだろう。最近岡田武史監督が中国のクラブチーム就任を決めた 中国クラブ監督就任の岡田氏、反日感情に覚悟 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News)のともシンクロする。

こんなツイートしてた自分がいかに小童だったかと思い知らされた。