哲学の教科書

果たして「哲学」とはこれほどに属人的な語り口で著されるものなのかと驚いた。またそう言った語り口だからこそ、著者の鼻息や体温を、あるいは血肉の躍動が伝わってくるようでもあった。

ここに記される筆者の哲学を読み進めるうち、完全な同一でないにしろ、通底している観念として共感を覚えた自らの思いがいくつか蘇ってきた。
それは、「この不平等がありふれる世の中で、全ての人に唯一平等なのが『死が訪れる』という事実。あのテレビに出てる有名人、俺よりずっとずっと幸せな有名人ですら…でもやっぱり彼らも死ぬんだなぁ。そう思ったらみんな一緒なんだな。」と思ったことや、小さな頃寝る前に「明日ちゃんと起きられますように、死にませんように」とこころで呟いてから寝るのが習慣だったことや、自分は全ての物事を知ることはきっとできないのだと絶望したこと、この視える世界は自分だけのものなのではないかと思うこと、それにしてはまぁまぁの出来な「世の中」だなと思うこと、あとはあとは…
文字にして読み返してみるとなんとも面映い文句の羅列だなと感じる。しかし、筆者はこのような思いを起点として「なぜ」の遡及を止むことなく続ける。

そして、場合によって哲学入門や哲学史などを参照しておびただしい哲学の古典を開いてみてください。そのいずれかの説明に安易に「なるほど」と膝を打ってしまえば、そこで「あなた」の哲学は終わります。〜(中略)〜どの説明も納得できず、「なぜか、なぜか」と問い続けるかぎり「あなた」が哲学をする理由はあります。

哲学の教科書(講談社学術文庫)P157-158

誰もあなたに最終的な「解答」を与えてはくれない。自分の仕方で自分なりにそれを求め続けるだけです。こうした非生産的な・見通しのない・多分に病的な営みが「哲学すること」だと私は信じております。

哲学の教科書(講談社学術文庫)P158

本書は読者に哲学の営みを勧める。それは世の哲学史や人の哲学論を知識として吸収してさも哲学たらんと振る舞うことではなく、子供のような愚直さでひたすら問い続けることだという。

こうした意味で「自分自身になること」は一生の課題であり、しかもそれはあなただけに与えられた課題ですから、誰も横取りできない。たとえあなたが殺人を犯そうと、他人を不幸のどん底に追いやろうと、失明しようと、友人から裏切られようと、自分の能力に限界を感じようと、人生に失敗したわけではない。すべて「自分自身になる」素晴らしいチャンスが与えられただけです。

哲学の教科書(講談社学術文庫)P252

そして、自分の置かれたあらゆる状況は、いかに困難であったり不道徳的であったりする立場であろうと、「自分自身になる」チャンスが与えられたという姿勢を教示する。これは密やかに過激だ。これについては、自分が他人と100%同一でないのは自明なので「自分自身になること」なんて課題でもなんでもないのではないか?と思いもした。

本書の読み方としては、時に付き、時に離れ、顎をさすりながらというのが自分にはしっくりきた。それはとても有意義な時間だった。個人的に興味深かったのはロゴス主義と脱構築のくだり。自分はやはり「言語による規定」に興味があるのだなと再認識させられた。
また本書は、哲学の世界を垣間見るための各種参考資料も記されており「教科書」としても頼りになる。くわえて加藤尚武氏の解説も自分の「離れ」ていたときの胸の内のもやもやを語りなおしてくれているようで溜飲が下がる思いだった。

はっきり言って、医学や法学が役にたつという意味で哲学は役にたちません。

哲学の教科書(講談社学術文庫)P226

哲学は飽くなき趣味足り得るだろうが、アクの有る趣味であることも事実だ。
宇宙の果てや時間の始まりを思いふっとお尻の浮く思いや胸騒ぎを覚えてわっきゃわっきゃ言っているのが常人あるいはフツウの人としては健全な立ち位置かなと思う。



哲学の教科書 (講談社学術文庫)
中島 義道
講談社
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