八日目の蝉

5/15 TOHOシネマズ モレラ岐阜で。


ガールズ・ムービー。品のない(?)言い方をするならば、子宮にずーんと来る作品。もちろんボク、子宮ないですけど何か?


蝉は普通なら七日で死んでしまう。もし八日目まで生き残ったらひとりぼっち。でも、七日しか生きられなかった蝉たちの見られなかった景色が見えるかもしれない。それが輝かしいものだと信じたい。登場する女性のうち"当事者"たる者は皆「普通」から爪弾きにあった八日目の蝉たちだ。
蝉たちが鳴く声は切迫していて時に狂気的。
希和子(永作博美)に連れ出されたまだ乳飲み子である薫が泣き叫ぶ。止まぬ泣き声を出し続ける薫に哺乳瓶をくわえさせようとしたり自らの乳をやろうとしたりといった試行錯誤も功を奏さず虚しく絶望し嗚咽する希和子。二匹の蝉が鳴く声のなんと悲愴なことか。
以前から感じていたのだが赤ちゃんの止まぬ泣き声というものは一種の狂気を感じる。そこに理性がないからか。純真だが本能的。また、泣き声を止めることのできない母親が苦悩しつい手を出してしまったり「なんでこの子はわかってくれないの?」と絶望するんじゃないかとか、つい嫌な連想してしまう。


小池栄子は『パーマネント野ばら』に続き好演していたと思う。洗練されていない女性を演じさせると出色の出来。ホテルでの恵理菜と互いに心の内を吐露する場面。カメラは小池栄子の左斜め後ろから撮っているのだけれど、涙が頬を伝いやがてキラリと光り消える、その瞬間は映画のマジックだったと思う。帰ってきてから知ったのだが『パーマネント野ばら』と脚本が同じ方らしい。んで『サマーウォーズ』もだって。
『パーマネント野ばら』の菅野美穂もそうだったが、永作博美の透明感もヤバい。…ヤバい!小豆島での薫との"解散前提生活"。全身全霊で愛しあう娘の姿は可愛くて微笑ましく母の姿は優しくそして切なげ。「あたしはママと結婚する」と薫が宣言しそれを聞いて柔和でしかし陰りのあるほほえみをたたえる希和子がシャローフォーカスで映しだされる場面が印象的。あと、ところどころハンディカメラでブレながら撮っていてそのせいで被写体の不安定な心情が観客にモロに伝わってきて。
手馴れてきた希和子を見た素麺屋の社長が「おぉ、上手くなってきたねぇ」と褒めそやすことなく、ニコッと微笑んで後ろを通りすぎていくのには安心した。そんなことされたら安っぽすぎる。


ラスト、誰も嫌いになりたくなかったと泣き崩れる恵理菜に見えた未来は光り輝くものだっただろうか?愛していた人と愛さなければいけない人。振り払うべきなのか寄り添うべきなのかわからない過去。そして厳然とその過去に立脚せざるを得ない今とこれから。父が不倫さえしていなければ、希和子が誘拐していなければ、恵理菜は七日でこの世からサヨナラできたのに。でも八日目まで生きることになったからにはこの境遇と寄り添っていくしかないのだという悲壮な決意。流した涙で迷いが消されたというよりは、迷いと直視する覚悟を決めたのだという印象を受けた。
ラプンツェルにもこの葛藤を少しは描いて欲しかったなぁ。ま、そこまで入れると子供向けのアニメとしては尺が長くなるし、その上テーマがぼやけちゃうんだろうね。


それとあれですね、男がどうしようもない。ケジメは大切ですね。ひとりの男がケジメをつけられなかったためにどれだけの人がどれだけの間苦しんだことか。ひとりの判断が大勢の運命の舵取りを担う可能性があるということをまざまざと見せつけられたホラーの一面もあったと感じたのだった。まる。


光浦靖子さん(タレント)
私にもがらんどうはあるし、それを埋めたいと思うのは母性なのかエゴなのかわかりません。
なんでも許してくれる赤ちゃんでなくなった薫を誰が愛したんだろう?
赤ちゃんに見返りを求めても愛なんですよね?

Youkame


八日目の蝉
八日目の蝉
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