わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か
自称コミュ障の僕ですが、この本を免罪符に背伸びしないことにします!…というのは曲解も甚だしい訳ですが。
でも、僕はいまから明石家さんまにはなれないし長友佑都にはなれない。
たしかに「コミュニケーション」は人間が社会を形成していく上でとても必要なので重視されるのはしようがないと思うんですよね。ただその能力が欠落している人はそれだからって人間として劣っているわけではない。運が悪いなということなんだと思います。
社会というのは「運が悪い人」に寛容であって欲しいと常々思っているのですが、この本はそのあたりを「コミュニケーション」という切り口から如実に示してくれています。
弱者のコンテクストを理解する能力を持ったリーダーを望む。また、そのような学生を育てたいと強く願う。
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か(講談社現代新書)
世をにぎわす為政者の発言を見ていると「弱者の視点」が希薄だなと思うことが多々あります。弱者の立場を慮ってこその強者だろうと。
そして一方で「しょせん他人同士は分かり合えないものなのだ」というある種の諦観を身につけることが希望の種火になるのではないかと感じます。
人びとはバラバラなままで生きていく。価値観は多様化する。ライフスタイルは様々になる。それは悪いことではないだろう。日本人はこれからどんどんと、バラバラになっていく。
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か(講談社現代新書)
所詮は誰もがわかりあえるわけではないのです。ま、自分のことでさえわからないんですものね。
世界がどんどん平準化してきて出自の違う物事が同じ「系」でくくられる。「複雑系」となったそれが先鋭化していくとやがて破綻する。それは避けたいよねとなると結局「程度」の問題になってきます。
みんながぼちぼちわかり合えないくらいで収まっている方がいいのではないか。わかりあえないことをお互いにわかりあっていればそこに「寛容」が生まれる。
そして「大勢とぼちぼちわかりあえる程度くらいのスキルは身につけておくと生きやすいですよ」と著者は提案してくれる。その程度でいいんだろう。そう思ったらとても気が楽になる。
また、個人ではなくシステムを変える必要性を問うていて、その点も僕と思想的に寄り添うんですよね。
語り口の柔らかさ語り口の柔らかさと実在性のある事象からとても入り込みやすく説得力のあるコミュニケーション論でとても好感しました。
世界は ひとつじゃない
ばらばら(星野源)
ああ そのまま ばらばらのまま
世界は ひとつになれない
そのまま どこかにいこう