現代アート、超入門!

読後感は優しいお医者さんの診療を受けたあとのよう。
私が診てもらってきた多くの医者はまともに話を聞いてくれなかった。それはシステムの問題もあるだろうし個人の問題もあるだろう(もちろん自分自身の問題もあるかと思う。こちらの要求にマッチする回答を引き出せなかったとか)。特に最近はネットが発達したこともあって患者の話を聞くというのは結構なストレスだろうなと推察はする。
しかし、患者はいつも不安だ。まずは不安になった現象や思いを分かってもらって、それに対して専門家なりの意見を与えて欲しいのだ。「うんうん、解ります。不安ですよね。これこれこうで多分大丈夫だと思います。でもやっぱり不安だったら検査してみましょうか。安心のために」私はそう対応してくれた2度しか診療してもらっていない医師の名前を未だに憶えている。

本書も頭ごなしに「これはこうみるべきだ」というスタンスは取らない。「フツーの人」の立場に立ってアートの間口を広げる作業を行ってくれている。結果、明確な答えをもらったという実感はないが、その不安は間違いのではないんだという安心感はもらったと思う。
「そうだよね、ぶっちゃけわかんないよね、こんなの。うんうん、全然いいんだよ。わかんないよ、こんなの。でもほら、ここがこうじゃん?てことはこう言うこともできるんじゃない?」
そう歩み寄ってくれる。
私はそういった誠実さが好きだ。

さて、やさしさに包まれたなら、本書はサラリと読み上げられる。前述のとおり、間口を広げるための考え方のいくつかを提示してくれている。

ジョージ・ディッキーという哲学者がいる。〜中略〜 ただ単にアーティストが「これはアートだ!」と述べているだけではアートとはいえないと定義づけた。つまり、鑑賞する側の合意があって初めて、アートは成り立つとしたのである

現代アート、超入門! P146

このあたりの件は「アート」を目の前に困惑する自分にとっての福音の一つだ。

しかし、以前から特に私がアートに対して持っていた疑念は晴れなかった。その疑念とは以下の一文に関する内容だ。

さて「考え方」が作品の本質であるとすれば、いわゆる芸術性などとくに求める必要はなくなる。何らかの思考や概念を伝えたり、想起させさえできれば、美しくある必要はないし、巧みにつくられている必要もない。

現代アート、超入門! P89

そう、すべての人間活動は「アート」と言えちゃうんじゃないか?じゃあアーティスト様が発表されるありがたい「アート」って何を意味するの?ということ。
『「考え方」が作品の本質』である、とはつまり『作品の主題が「何を表現しているのか」である』ということだろう。「表現」とは人間が社会で生きている活動すべてだと言えるのではないか。「ヒト」は他人に観測されて初めて「人間」になる。他人に「私はこういう人ですよ」と提示するのが自己表現だ。自分が着ている服だって自分の意志が働いている。発言だってそう。Twitterでドヤ顔でつぶやくのだって自己表現だ。そう考えるとすべての人間活動は「アート」となってしまう。「表現の発露」自体がアートしてみなされるのならば、事件はアートだし政治もアートなのだろう。「私はこう思うんだ」というモチベーションの成果物は自己表現にほかならないと思うのだ。
でも事件も政治もアートではない。よね?

読了後に「爆笑問題のニッポンの教養」で爆笑問題東京芸術大学に出向いたときの回を思い出し見返してみた。

自分を表現するんだってことは比較的たやすくできるんじゃないかと思うんですよ、みなさん。それよりも、それできたあと、それが社会の中でどうやって消費されるかの方がかなりでっかい問題になっちゃってて、みなさんそのことを言ってるわけじゃないですか。だけどぶっちゃけちゃって、全員自分を表現するのが目的で方法はなんでもいいんだ、全員そうなりましょうつって、もうフルートとか関係ないんだとオルガンも関係ないんだと、オルガンは裸で弾けばいいと思うけどね(笑)。それはともかく、そうなっちゃったら、それは一種の社会変革じゃないですか。話ぐるっと戻っちゃって。社会変わることになっちゃいますよね、ジャンルがなくなるんだから。だからジャンルをどれだけ守るか守んないかの話と、どれが社会の真ん中に来るかっていう、要するに状況の話っていうのが…

「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』

上記引用は菊地成孔さんの発言。そうか、ジャンルか…。

つまり「アート」というのは、
決められた枠組みの中で「こう考えているので今から表現します。そしてその成果物を作品と規定します」と定義付けたもの。
なのだろう。私の中ではそう定義付けることにした。そして、その決められた枠組みというのは、絵とか彫刻とかパフォーマンスとか音楽とか、だ。

じつはmixiで「クリエイター」属性を付けちゃうようなクリエイターさんたちになんとなく違和感をいだいていた。スノビッシュ選民思想的な雰囲気だ。アーティスティックであることがビジネスライクであることやサラリーマン的であることに対してさも優位であるような言説なんかをたまに見聞するのだ。決められたルールの中でクリエイティビティを持って物事に取り組んでいるビジネスマンだってたくさんいる。決められた枠組みが一見かっこよさげ、それがアーティストさんたちなのだ。どんなジャンルであれ事を成してる方はかっこいいわけですよ。成果物が素敵だと憧れるわけですよ。アーティストもビジネスマンも。

やはり謙虚さは大事だなぁというのが結論です。
意味不明(笑)。

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藤田 令伊
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